失恋の未練で苦しい…失恋を引きずらない方法とは?

失恋 引きずる 未練

失恋をするといつまでも未練たらしく引きずってしまうものです。

ずっと悲しんだり、場合によっては“恨み”にも似た感情を持ってしまうこともあるでしょう。

私の場合は、悲しみと恨みが交互にこみ上げてくる時もあり、精神的にも疲れてしまっていました。

そんな時に失恋に関する本を読み、自分の感情を客観的に見ることで冷静になることができました。

本から学んだことは、

「失恋をすると傷ついたり、引きずってしまうのは誰しも起こること。しかし、その心を対処できる人とできない人がいる」

ということです。

私は対処ができないタイプの人間だったようですが、同じように悩んでいるの方もいるのではないでしょうか?

そこで今回は「失恋に未練があり心が苦しい…失恋を引きずらない方法とは?」を紹介します!

からまった糸のように見えますが、ひとつひとつ解きほぐしていきましょう。

辛い失恋を引きづらないために

人はだれでも傷つく。問題はその傷を「どう処理するか」である。
失恋も、近親者の死も、結婚の失敗も、故郷からの別れも、事業の失敗も、希望の喪失も、役割の喪失も、人が様々なものを失う。これらは対象喪失と言われるものである。
人によっては傷つくともうこれ以上傷つくまいとして防衛的になる。心の壁を高くする。
こうして防衛的になることで人を信じられなくなり、さらに傷つきやすい人になる。
そして人と心を触れ合えない人間になる。心を打ち明けられない人間になる。
こうしてコミニケーション能力のない人間になってしまうのは受けた心の傷の対処を間違えた人である。
自らの心の傷と正面から向き合い、苦しみ、悩み、悲しみ、最終的に再生していく。
それが心理的健康な人の心の姿勢である。こうした心の新陳代謝をしながら人は成長していく。
(「対象喪失の乗り越え方」より)

人は対象喪失の悲哀の過程をたどることで成長します。

「なんで自分の人生がこんなに苦しいのだ」と嘆き悲しむ時期を経て、苦しみながら成長していくのです。

対象喪失の悲哀を味わいつくすこと。

その一つ一つが最高の自分への道になります。

その対象喪失の連続の中で人は成長します。

何かを失った経験は悲しいものですが、それはその人の成長への過程として必要な体験です。

個々の対象喪失は最高の自分への到達するための1つの通過点なのです。

それは前に進むためにはどうしても通らなければない通過点なのです。

それがあるからこそ「生まれてきて良かった」と思える最後にたどり着くことができるのです。

失恋の未練を枯れた枝のように断ち切る

人間は一つ一つの段階を踏んで成長していく。
人間のパーソナリティーは段階を追って成長していくというのは20世紀に確立した理論であるとこどもの研究科として名高いボールビーはいう。
色々とあった辛い過去に別れをつげることで、初めて今日を生きるエネルギーが湧いてくる。
そこで変えたいことを変えるエネルギーが生じてくる。
クリスマスの木が枯れてきた。枯れた部分を切ると新しい芽が出てくる。
うつ病になるような人は古い枯れたものを切らないからエネルギッシュになれない。
過去の亡霊、過去のガラクタ、それを切らない。
今を生きるか、過去を生きるか。
苦しかった過去をいつまでも引きずっていると、ますます生きるのが嫌になるだけである。
(「対象喪失の乗り越え方」より)

恋多き人であるが、どの恋も幸せな恋ではないという人がいます。

何度恋愛をしても、常に前の恋愛を引きずっているからそう感じるのです。

過去の復讐心を消化しないままに新しい恋を始めると、どうしても先に進めない人がいます。

いつまでも未練を断ち切れない人なのです。

未練がましい人は恨み深い人でもあります。

逆にどんなに失恋も最終的に意味のある出来事になる人がいます。

失恋も成長への糧になるのです。

そういう人は時を経て失ったものへの未練を断ち切り、新しい夢を追い求め始めます。

転職しても元の会社に執着する人がいます。

そういう人は今の仕事へのエネルギーを集中していないのです。

定年退職で社会的役割を失ったと感じる高齢者がいます。

逆に定年で輝きを増す人もいます。

人は自分を支えてきた夢を捨てるときに辛い思いをします。

しかし、若い頃描いた夢が全て実現することなどありません。

これが私の人生であると言うのです。

落ち着いた気持ちになるまでに、人はいろいろな感情を味わわなければなりません。

一つ一つの悩みを、その時その時に解決しながら生きている人がいます。

逆に悩みが解決しないままで生きている人がいます。

その違いは悩みの核心を理解するか、しないかなのです。

核心を理解できれば先に進むことができます。

あなたは辛い失恋を引きずる必要はない

我々はある過去の一時期の体験を引きずって、その体験で自分の全生涯を決めてはならない。
私たちの一生はまさに一生なのである。
一時期の体験ではないそれなのに、一時期の不幸な体験が生涯再体験され続けている人がいる。
そこで自分の人生を意味をなく超えてしまう人がいる。
それにしても一時期の不幸な体験を生涯引きずって生きている人の何の多いことか。
孤独に苦しんでいる人がいる。しかし、その人は今現在実際に「孤立と追放」をされているだけでなく、小さい頃に体験した「孤立と追放」を再体験して苦しんでいるだけということがある。
小さい頃の体験で長い人生を無駄にしていいのか、辛い過去を受け入れ、その時点での幸せを断念した時はなんで自分の人生はこんなに苦しいのだと自分の運命を嘆かない。
実存分析のフランクルは断念について次のように述べている。
「そして、これこそ最後に残された出口なのです」
断念こそが絶望から希望への残された唯一の出口なのである。
まさに人間にとって最後に残された手口である。
(「対象喪失の乗り越え方」より)

人間はそう簡単に断念できるものではありません。

その前に正気を失うかもしれません。

「疎外された人間は不幸だ。楽しみのための消費は、自分が不幸に気づかせないようにする」と言うのです。

それは消費ばかりではありません。

仕事も勉強も運動も恋愛も何もかも、「自分の不幸に気づかないようにするため」である場合があります。

やることなすこと全て「自分の不幸に気づかないようにする」ための行為なのです。

極端に言えば息をするのも「自分の不幸に気づかないようにするため」です。

しかし大切なのは、現実に直面して先に進むこと。

そのために逃げている不幸に正面から向き合い、それを整理して心の中で消化することが必要です。

心の新陳代謝を活発にしなければいけません。

幸せの幻想を捨てて、先に進みましょう。

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